ミラーボールと街コンと恋愛コンプレックス

恋愛コンプレックスを克服した話。

20歳まで恋愛をしていなかった。

それからも30歳手前ぐらいまで、1人2人としか付き合ったことがなかった。

その当時は自宅で出来る自営業というものをしており、恋愛そのものに対してさほどの興味はなかった。

街へ出ても周囲の情報にうといので、たとえ美女が歩いていても、視線はまったく行かなかった。

街に歩く人をかわいいとかきれいだと思う意識さえなかった。

たぶん自分がまったく手の届かない世界なので、手が届かない悔しささえ感じなかったのだろう。

どら焼きを食べたことがない人は、どら焼きをほしいとは思わない。

例えがあれだが。

だが30歳も手前で、長く付き合った彼女と別れた。

その人との付き合いの後期には、だんだんと家から出歩くようになり、外の世界が見え始めた。

それで自分と彼女と仕事だけの世界に閉じこもっているのが嫌になったのだろう。

あとあと彼女とも話してわかったのだが、その頃、彼女はやけにゲームショップでモンスターハンターWii版ソフトを買うのを勧めてきた。

僕はモンハンに1000時間程度は費やしたかもしれない。

それも、彼女が僕を狭い世界におしとどめるための方策だったかもしれない。

本人が語っていたのでたぶん確かだ。

7年ほども付き合うと別れは辛い。

だがそれからというもの、恋愛の世界に目覚めて、とにかく努力を重ねた。

高校生時代からほとんど人と話さない生活を送り、圧倒的コミュ力にハンディキャップを背負ったまま、30歳近くなってからの追い返しは、ものすごく大変だった。

最初は恋愛の世界を本当に甘く見ていた。

現実世界の100万倍ぐらい、赤子の手をひねるようにうまくいくと思っていた。

いわゆる萌えアニメ的なご都合主義の恋愛観だったかもしれない。

いちど男女が出逢えば1時間程度でベッド・インまで行くかのような。

妄想。

だけど男はほぼ、誰しも、恋愛慣れしていない時代にはこんな妄想を抱くものだと思う。

ただそれを大人になっても引きずるというのが痛いのだけれど。

だけどどうにか脱出出来た。

具体的な方法としてはmixiのオフ会に行ったり、そこから広がった人間関係で飲み会、合コンに誘われたり、高いお金を払って街コンに参加する日々だった。

今思うと途方もない時間とお金を費やしていたように思う。

それぐらい恋愛における勝利は人生必須の課題だった。

どうにも苦しくてこのコンプレックスを克服したかった。

自分自身のアイデンティティ、命の全てがかかっているという感覚だった。

特定の新しい彼女ができても、街を歩いては、あの人は僕の彼女より可愛い、あの人よりはましだと、数秒ごとに頭の中をぐるぐる廻るような状態だった。

ゲスの極み乙女のミラーボールという曲を聴きながら、平日の夜、婚活パーティー的な街コンの帰り道、酔いどれで歩いていると、どうにも胸が締め付けられるような切ない感じがした。

そして今ではいわゆる遊びきった感覚が訪れたのか、そのあとにひとりの彼女との婚約を決めた。

本当にもう二度と、あのモチベーションはかえってこないと思う。

焼け付くような感覚。

欲望と羨望でやけどしそうな日々だった。

ナンパを実践している友達も何人か出来た。

僕には無理だったけれど。

今では連絡をとることもない。

彼らは今どうしているんだろう。

まだ道であった女の子に数秒で話しかけては、連絡先をゲットしたり、LINEの返信がなくて苛立っていたりするんだろうか。

僕は結婚して一足先にフェードアウトしたけれど、恋愛にドハマリしていた当時は、その欲望の世界から絶対に足を洗いたくなかった。

生涯、天涯孤独みたいに、どれだけの数、恋愛の勝利を収められるかということばかり考えていた。

今では猫のようにおとなしい。

恋愛の欲望を全て使い果たしてしまったようだ。

ちなみにこれだけ語っても、まだ全貌の100分の1も勝たれていないとは思う。

懐かしい日々。

でも恋愛コンプレックスが克服できたのは本当に良かったと、身勝手にも思っている。

消極的に結婚相手を選ぶのではなく、吟味した上で選んだところも自己満足している。

たとえそれが結果的に同じ選択になったとしても。

100から1を選ぶのと、1から1を選ぶのとではまるで違う。

ミラーボールは回る。

回っていた。

Original Text

ミラーボールと街コンと恋愛コンプレックス。恋愛コンプレックスを克服した話。20歳まで恋愛をしていなかった。それからも30歳手前ぐらいまで、1人2人としか付き合ったことがなかった。その当時は自宅で出来る自営業というものをしており、恋愛そのものに対してさほどの興味はなかった。街へ出ても周囲の情報にうといので、たとえ美女が歩いていても、視線はまったく行かなかった。街に歩く人をかわいいとかきれいだと思う意識さえなかった。たぶん自分がまったく手の届かない世界なので、手が届かない悔しささえ感じなかったのだろう。どら焼きを食べたことがない人は、どら焼きをほしいとは思わない。例えがあれだが。だが30歳も手前で、長く付き合った彼女と別れた。その人との付き合いの後期には、だんだんと家から出歩くようになり、外の世界が見え始めた。それで自分と彼女と仕事だけの世界に閉じこもっているのが嫌になったのだろう。あとあと彼女とも話してわかったのだが、その頃、彼女はやけにゲームショップでモンスターハンターWii版ソフトを買うのを勧めてきた。僕はモンハンに1000時間程度は費やしたかもしれない。それも、彼女が僕を狭い世界におしとどめるための方策だったかもしれない。本人が語っていたのでたぶん確かだ。7年ほども付き合うと別れは辛い。だがそれからというもの、恋愛の世界に目覚めて、とにかく努力を重ねた。高校生時代からほとんど人と話さない生活を送り、圧倒的コミュ力にハンディキャップを背負ったまま、30歳近くなってからの追い返しは、ものすごく大変だった。最初は恋愛の世界を本当に甘く見ていた。現実世界の100万倍ぐらい、赤子の手をひねるようにうまくいくと思っていた。いわゆる萌えアニメ的なご都合主義の恋愛観だったかもしれない。いちど男女が出逢えば1時間程度でベッド・インまで行くかのような。妄想。だけど男はほぼ、誰しも、恋愛慣れしていない時代にはこんな妄想を抱くものだと思う。ただそれを大人になっても引きずるというのが痛いのだけれど。だけどどうにか脱出出来た。具体的な方法としてはmixiのオフ会に行ったり、そこから広がった人間関係で飲み会、合コンに誘われたり、高いお金を払って街コンに参加する日々だった。今思うと途方もない時間とお金を費やしていたように思う。それぐらい恋愛における勝利は人生必須の課題だった。どうにも苦しくてこのコンプレックスを克服したかった。自分自身のアイデンティティ、命の全てがかかっているという感覚だった。特定の新しい彼女ができても、街を歩いては、あの人は僕の彼女より可愛い、あの人よりはましだと、数秒ごとに頭の中をぐるぐる廻るような状態だった。ゲスの極み乙女のミラーボールという曲を聴きながら、平日の夜、婚活パーティー的な街コンの帰り道、酔いどれで歩いていると、どうにも胸が締め付けられるような切ない感じがした。そして今ではいわゆる遊びきった感覚が訪れたのか、そのあとにひとりの彼女との婚約を決めた。本当にもう二度と、あのモチベーションはかえってこないと思う。焼け付くような感覚。欲望と羨望でやけどしそうな日々だった。ナンパを実践している友達も何人か出来た。僕には無理だったけれど。今では連絡をとることもない。彼らは今どうしているんだろう。まだ道であった女の子に数秒で話しかけては、連絡先をゲットしたり、LINEの返信がなくて苛立っていたりするんだろうか。僕は結婚して一足先にフェードアウトしたけれど、恋愛にドハマリしていた当時は、その欲望の世界から絶対に足を洗いたくなかった。生涯、天涯孤独みたいに、どれだけの数、恋愛の勝利を収められるかということばかり考えていた。今では猫のようにおとなしい。恋愛の欲望を全て使い果たしてしまったようだ。ちなみにこれだけ語っても、まだ全貌の100分の1も勝たれていないとは思う。懐かしい日々。でも恋愛コンプレックスが克服できたのは本当に良かったと、身勝手にも思っている。消極的に結婚相手を選ぶのではなく、吟味した上で選んだところも自己満足している。たとえそれが結果的に同じ選択になったとしても。100から1を選ぶのと、1から1を選ぶのとではまるで違う。ミラーボールは回る。回っていた。

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English Translated

Mirror Ball and City Con and romance Complex. A story that overcomes the romance complex. I have not been in love until 20 years old. Even then, until about 30 years old, I had never met two people. At that time I was doing something that I could do at home, I did not have much interest in love itself. Even though I went to the town, I did not have any information on the surroundings, so even if the beautiful woman was walking, I did not go out at all. There was no consciousness to think that a person walking in the town is cute or beautiful. Perhaps because it is a world that I can not reach at all, I did not even feel the regret that I could not reach. People who have never eaten dorayaki do not want dorayaki. Although there are examples. However, I was 30 years old, I broke up with her who had long lasted. In the latter part of my relationship with the person, I gradually started to go out and started to see the outside world. So I guess I did not want to be confined to myself and herself and work only world. I found out later that I talked to her, but at that time she encouraged me to buy Monster Hunter's Wii version software at a game shop. I may have spent around 1000 hours on a monster. It might have been a measure for her to keep me in a narrow world. It is probable that he was speaking. Farewell is painful if we go out for seven years. But since then I woke up to the world of romance, and repeatedly made an effort. From high school days, I live a life that I do not talk with most people, handicaping overwhelming communicative power, taking care of after 30 years of age was a tremendous hardship. At first I was watching the world of romance really sweet. I thought it would work as if twisting the hand of a baby about 1 million times the real world. It may have been a view of romance of so-called Moe anime-like opportunism. Once a man and woman meet, it's like going to bed in about an hour. Delusions. However, I think that men almost embrace such delusions in times when people are not used to love. Although it hurts to drag it even if it becomes an adult. But I managed to escape. As a concrete method, people who went to the off-party of mixi and spread from there.

Chinese Translated

Mirror Ball和City Con and romance Complex。一個克服浪漫情結的故事。直到20歲我才戀愛。即便如此,直到大約30歲,我才從未見過兩個人。那時我正在做一些我能在家裡做的事,我對愛本身並不感興趣。雖然我去了小鎮,但我沒有關於周圍環境的任何信息,所以即使美麗的女人走路,我也沒有出去。沒有意識到認為一個人在城裡散步是可愛或美麗的。也許是因為這是一個我根本無法觸及的世界,我甚至沒有感到遺憾的是我無法觸及。從未吃過銅鑼燒的人不想做銅鑼燒。雖然有例子。然而,我才30歲,我和那個長期堅持的她分手了。在我與人的關係的後半部分,我逐漸開始走出去,開始看到外面的世界。所以我想我不想被限制在自己和自己身上,只為世界工作。後來我發現我跟她說話了,但當時她鼓勵我在遊戲店裡買Monster Hunter的Wii版軟件。我可能花了大約1000個小時對一個怪物。這可能是她讓我陷入狹隘世界的一種措施。他說話的可能性很小。如果我們出去七年,告別是痛苦的。但從那以後,我醒來了浪漫的世界,並一再努力。從高中時代開始,我過著與大多數人無法交往的生活,讓人壓倒性的交際能力,30歲以後的照顧是一項巨大的艱辛。起初我看著浪漫的世界真的很甜蜜。我認為它可以像現實世界一樣扭動嬰兒的手一樣。這可能是所謂Moe動漫般的機會主義浪漫的觀點。一旦男人和女人見面,就像在大約一個小時內上床睡覺一樣。妄想。然而,我認為,在人們不習慣愛的時候,男人幾乎都會接受這種妄想。雖然即使它變成了成年人也很痛苦。但我設法逃脫了。作為一種具體的方法,那些去混合的派對並從那里傳播的人。

Original By

https://github.com/YumaInaura/YumaInaura/issues/689