「走り方で脳が変わる!」 ( 茂木健一郎 ) の感想
いくつかの部分で共感した。
走る時や、歩く時に最も大事なのは「自分の体と対話すること」。
「1日30分のランニングが体に良い」ということが統計的に事実だとしても、
「1日30分」という目標数値を掲げてしまうのは、なんともつまらないと思う。
数字を掲げてしまった時点で、それは義務になり、
「歩くこと、走ることで得られる自然な喜び」から遠ざかってしまう。
自分の体に聞いて、最も心地良いやり方を選ぶこと。
「もう、歩きたくない」「走りたくない」という声にも敏感になること。
それが体を動かすことの本質じゃないだろうか。
距離はほんの少しでもいい。近所のコンビニエンスストアまで走っていき、帰りも走ってくるだけでも、立派なランニングだ
走りながら自分の体の声を聞いていると、どこでやめるべきか、もうちょっとがんばれるのかは、すぐにわかる。調子が悪いときは悪いなりにどう走ればいいのか、というコントロール能力も今では身についている。ランニングを続けることで、体調を把握するセンサーが敏感になるのだ
走る習慣のない人にとっては、走っていない状態がホームで、走っている状態がアウェー。強い意志を持って走ろうとしないかぎり、自然にホームに戻ってしまう。 経験的に言うと、1週間毎日走れば、走ることが少しだけホームになる。1ヵ月も続けば、逆に走らないほうが気持ち悪いと感じるようになる。 僕はもう、そういう体になっている。走れない日が続くと、むしろ体調が悪くなる感じがするのだ。 走っていない状態が非日常(アウェー)で、走っている状態が日常(ホーム)。そうなればもう、自動的に継続できるようになる
そして、ランニングを続けるために大事なのは、「中止する決断」をすること。「今日は調子が悪いな」と気づいたら、僕はすぐにランニングをやめて歩くようにしている。 それはもう、自分との対話なのだ
いきなり長距離に挑戦して、膝を悪くしてしまい、ランニングから遠ざかる人もいる。 これらの人は、どうも「ランニングとはかくあるべし」という理想が高すぎるような気がする。きっと、僕が提唱する「1分ランニング」なんて考えられないことなのだろう