句読点の句点が嫌いだ
自分が書く文章に限っては。
これを打つことにとても悔しさを感じる。
点と丸の点の方。
お前の文章は息継ぎをしなければ語れぬものなのかと。
自分の文章構成がうまく組み立てられていない証左ではないかと思ってしまう。
できることならばひとつも句点を打たずに文章を作りたい。
この気持のせいで変な位置に読点が来るほんのすこし変わった文章のスタイルに見えるかもしれない。
文章の味わいに敏感な人であれば気づくかもしれない。
やけに丸が多いなと。
変なこだわりだと思う。
だがこの変なこだわりが文章のアクセントとなり自分のスタイルになる。
もし点を打たずに読みづらい文章だとすればそれは元から読みづらい文章のはずだ。
このことについて語りたいと2ヶ月ほどうっすら考えていたがついに書くことが出来た。
句読点の句点が嫌いだ。
ところでここまで書いて自分が句点と読点を間違って覚えていないかと不安になりGoogle検索に手が伸びる。
家を出たときにドアの鍵を締めたか不安になる感覚にも似ている。
それがどうした。
句読点の句点は嫌いだ。