MacBookAir2018のバタフライキーボードで禅プログラマになる
MacBookのキーボードは静かに叩こう。
せっかくのバタフライキーボードなのだから。
スターバックスで隣の人がカチャカチャと音を立ててMacBookを叩き始めた。
これが水泳ならば空気抵抗でスイスイとは進めない。
命取りだぜ。
あれ、どうやらバタフライキーボードではないようだ。
旧型のキーボードのままだ。
僕があんなに愛したひと世代前のMacBookのキーボードじゃないか。
だけど全然美しくない音だ。
MacBookのキーボードは音楽の鍵盤だ。
それを打ち鳴らす音も美しくなくてはいけない。
なぜそうなのか。
理由は他の人の注意力を奪うからだ。
キーボードをうるさく打ち鳴らす時、きっと自分自身は集中状態にあるのだろう。
エンターキーをターンと打ち鳴らす恍惚状態。
だけどわざとやっているわけではない。
半分は無意識の状態なのだろう。
けれども良くない。
プログラマは集中力が必要とされる仕事だ。
僕らがApple信者ならばなお良くない。
スティーヴ・ジョブズが禅を愛したように、MacBookの使い方も禅である方が良い。
美しいものは音楽だ。
音楽とはプログラミングだ。
スナップショットとして固定されてしまったコードだけではなく、それを描き出す行為が世界に美しく溶けるほうが良い。
そうしたら僕らはもっとうっとりとプログラミングの世界を楽しめるだろう。
理屈じゃない。
自分自身の脳細胞に刻みつける行為だ。
プログラミングは楽しい。
キーボードを打ち鳴らすことは楽しいと刷り込んでゆく。
無意識とやらに心地良い経験を積算してゆく。
そしてなおさら禅になる。
ところで僕が働いている場所でも、キーボードの問題があった。
僕がやや聴覚過敏なようで、隣の人のキーボードの音がやけに気になったのだ。
3ヶ月ほど我慢していたが、ついに打ち明けたとき、相手はとてもそれが信じられないようだった。
僕の意識のせいで音が大きく聞こえているのだろうと指摘された。
だけど大きく聞こえるものは仕方がない。
なんというか。
単に音量の問題ではなく、人が意思をもってして指を打ち鳴らしているその音が、脳に特別な理解を持って迫ってくるとでもいおうか。
なんといおうか。
最終的には席替えをして対策した。
このように音の敏感さにも人それぞれあるので、なるべく音は出さないように気をつけたいものだ。
恍惚状態で激しくキーを打ち付けるのも良いだろうが、本当に最小限の打鍵の圧力で、禅的インプットを実践するのもなかなか良いものだ。
そう、現在最新型のMacBookAir2018ならね。
このモデルのキーボードは、MacBookProのバタフライキーボードと比べて改良されていないという触れ込みだが、僕自身はまったくタッチの違いを感じる。
過去にはバタフライキーボードの故障問題もあり、改善を謳うこと自体を控えているのではないかというのはネットのうわさ話だ。
MacBookのキーボードは静かに叩こう。
誰にも聞こえない音ぐらいを目指すが良いかもしれない。
禅プログラミングのチャンスだ。
Original Text
MacBookAir2018のバタフライキーボードで禅プログラマになる。MacBookのキーボードは静かに叩こう。せっかくのバタフライキーボードなのだから。スターバックスで隣の人がカチャカチャと音を立ててMacBookを叩き始めた。これが水泳ならば空気抵抗でスイスイとは進めない。命取りだぜ。あれ、どうやらバタフライキーボードではないようだ。旧型のキーボードのままだ。僕があんなに愛したひと世代前のMacBookのキーボードじゃないか。だけど全然美しくない音だ。MacBookのキーボードは音楽の鍵盤だ。それを打ち鳴らす音も美しくなくてはいけない。なぜそうなのか。理由は他の人の注意力を奪うからだ。キーボードをうるさく打ち鳴らす時、きっと自分自身は集中状態にあるのだろう。エンターキーをターンと打ち鳴らす恍惚状態。だけどわざとやっているわけではない。半分は無意識の状態なのだろう。けれども良くない。プログラマは集中力が必要とされる仕事だ。僕らがApple信者ならばなお良くない。スティーヴ・ジョブズが禅を愛したように、MacBookの使い方も禅である方が良い。美しいものは音楽だ。音楽とはプログラミングだ。スナップショットとして固定されてしまったコードだけではなく、それを描き出す行為が世界に美しく溶けるほうが良い。そうしたら僕らはもっとうっとりとプログラミングの世界を楽しめるだろう。理屈じゃない。自分自身の脳細胞に刻みつける行為だ。プログラミングは楽しい。キーボードを打ち鳴らすことは楽しいと刷り込んでゆく。無意識とやらに心地良い経験を積算してゆく。そしてなおさら禅になる。ところで僕が働いている場所でも、キーボードの問題があった。僕がやや聴覚過敏なようで、隣の人のキーボードの音がやけに気になったのだ。3ヶ月ほど我慢していたが、ついに打ち明けたとき、相手はとてもそれが信じられないようだった。僕の意識のせいで音が大きく聞こえているのだろうと指摘された。だけど大きく聞こえるものは仕方がない。なんというか。単に音量の問題ではなく、人が意思をもってして指を打ち鳴らしているその音が、脳に特別な理解を持って迫ってくるとでもいおうか。なんといおうか。最終的には席替えをして対策した。このように音の敏感さにも人それぞれあるので、なるべく音は出さないように気をつけたいものだ。恍惚状態で激しくキーを打ち付けるのも良いだろうが、本当に最小限の打鍵の圧力で、禅的インプットを実践するのもなかなか良いものだ。そう、現在最新型のMacBookAir2018ならね。このモデルのキーボードは、MacBookProのバタフライキーボードと比べて改良されていないという触れ込みだが、僕自身はまったくタッチの違いを感じる。過去にはバタフライキーボードの故障問題もあり、改善を謳うこと自体を控えているのではないかというのはネットのうわさ話だ。MacBookのキーボードは静かに叩こう。誰にも聞こえない音ぐらいを目指すが良いかもしれない。禅プログラミングのチャンスだ。tags:qiita