アンデンティティ化とゼロ

妻という言葉もそうだけれど、夫婦という言葉も、実は嫌いだ。

妻や夫婦というものを、アイデンティティ化したくない。

言葉を口にするたびに、アイデンティティ化が進むような感じがする。

だけど無意識にアイデンティティ化は進むだろう。

意図しようとしなかろうとそうだ。

ニット帽は既にアイデンティティになり自分の一部として感じ始めている。

いなうらゆうまという名前は長い付き合いでまるで自分本体かのように感じられる。

エンジニアという仕事もアンデンティティ化している。

誰でもない何者でもない誰かに戻ることは、できるのだろうか。

ゼロに。

僕たちは生まれた時に名前というものをつけられる。

お互いの区別のためだ。

それが最初の世界の分断だ。

名前は祝福でもあるが、呪いでもある。

すべての名前は分け隔てる。

分け隔てないためには、名前を失う必要がある。

パーソナルスペースに敏感な、分断された世界。

マザーテレサに本当は名前は要らない。

名前のない何か優しげな人として覚えておけば良い。

神様には名前がない。

宗派によってはエホバという名前がついているみたいだ。

だけどそれは分断ではないのだろうか。

生まれてからラベルを張ってきた数百数千数万という言葉、物質、血肉となった、アイデンティティたち。

僕ら自身のように感じるから、それを剥がされるときにも、痛みを感じる。

ゼロが必要だ。

生まれてから死ぬまでに、否応なく僕らは、名前も失い、ゼロに戻る。

うまくゼロになることが出来るだろうか。

それも挑戦だ。

この文章を打ち込むことも、MacBookのキーボードを打ち鳴らすことも、自分自沈の一部となる。

得ることは難しく、失うことはもっと難しい。

自分に酔いしれずに、真実を語ることもまた難しい。

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アンデンティティ化とゼロ。妻という言葉もそうだけれど、夫婦という言葉も、実は嫌いだ。妻や夫婦というものを、アイデンティティ化したくない。言葉を口にするたびに、アイデンティティ化が進むような感じがする。だけど無意識にアイデンティティ化は進むだろう。意図しようとしなかろうとそうだ。ニット帽は既にアイデンティティになり自分の一部として感じ始めている。いなうらゆうまという名前は長い付き合いでまるで自分本体かのように感じられる。エンジニアという仕事もアンデンティティ化している。誰でもない何者でもない誰かに戻ることは、できるのだろうか。ゼロに。僕たちは生まれた時に名前というものをつけられる。お互いの区別のためだ。それが最初の世界の分断だ。名前は祝福でもあるが、呪いでもある。すべての名前は分け隔てる。分け隔てないためには、名前を失う必要がある。パーソナルスペースに敏感な、分断された世界。マザーテレサに本当は名前は要らない。名前のない何か優しげな人として覚えておけば良い。神様には名前がない。宗派によってはエホバという名前がついているみたいだ。だけどそれは分断ではないのだろうか。生まれてからラベルを張ってきた数百数千数万という言葉、物質、血肉となった、アイデンティティたち。僕ら自身のように感じるから、それを剥がされるときにも、痛みを感じる。ゼロが必要だ。生まれてから死ぬまでに、否応なく僕らは、名前も失い、ゼロに戻る。うまくゼロになることが出来るだろうか。それも挑戦だ。この文章を打ち込むことも、MacBookのキーボードを打ち鳴らすことも、自分自沈の一部となる。得ることは難しく、失うことはもっと難しい。自分に酔いしれずに、真実を語ることもまた難しい。

en

Undentification and Zero. The word “wife” is also true, but the word “husband and wife” is actually disliked. I don't want to make my wife or couple an identity. Every time I say a word, I feel like Identification proceeds. However, identityization will proceed unconsciously. It is true whether it is intended or not. Knitted hats have already started to feel as part of their identity. The name Inaba Yuuma is a long relationship and it feels like it's its own body. The job of being an engineer is also becoming indentious. Is it possible to return to someone who is nothing but nothing? To zero. We are given a name when we were born. It is for distinction of each other. That is the first division of the world. The name is a blessing but a curse. All names are separated. You need to lose your name to avoid sharing. A divided world sensitive to personal space. Mother Teresa doesn't really need a name. Just remember as a kind person without a name. God has no name. Some sects seem to have the name Jehovah. But isn't it a division? Hundreds of thousands of words that have been labeled since birth, substances, flesh and blood, identities. Because we feel like ourselves, we feel pain when it is peeled off. I need zero. Between birth and death, we inevitably lose our name and return to zero. Can we get well to zero? That is also a challenge. Typing this text or squeezing the MacBook keyboard is also part of self-sinking. Hard to get, harder to lose. It is also difficult to tell the truth without getting drunk on yourself.

tw

未識別和零。我的妻子也是如此,但我也討厭丈夫和妻子的話。我不想讓我的妻子或夫妻成為一個身份。每次我說一句話,我都覺得身份證明得以繼續。然而,身份化將在無意識中進行。無論是否有意,都是如此。針織帽已經開始成為他們身份的一部分。 Inaba Yuuma這個名字是一段很長的關係,感覺就像是它自己的身體。作為工程師的工作也正在成為一種身份。是否有可能回到一個什麼都沒有的人?為零。我們出生時就得到一個名字。這是為了彼此區分。這是世界的第一個分裂。這個名字是一種祝福,但卻是一種詛咒。所有名字都是分開的。你需要丟失你的名字以避免分享。分裂的世界對個人空間敏感。特蕾莎修女並不需要一個名字。只記得一個沒有名字的善良的人。上帝沒有名字。有些教派似乎有耶和華這個名字。但這不是分裂嗎?自出生以來已被貼上標籤的數十萬字,物質,血肉,身份。因為我們感覺像是自己,所以當它被剝落時我們會感到痛苦。我需要零。在出生和死亡之間,我們不可避免地失去了我們的名字並回歸到零。我們可以順利到零嗎?這也是一個挑戰。鍵入此文本或擠壓MacBook鍵盤也是自沉的一部分。很難得,更難輸。沒有喝醉自己也很難說實話。

hi

उपक्रम और शून्य। "पत्नी" शब्द भी सत्य है, लेकिन "पति और पत्नी" शब्द वास्तव में नापसंद है। मैं अपनी पत्नी या जोड़े को पहचान नहीं बनाना चाहता। हर बार जब मैं एक शब्द कहता हूं, तो मुझे लगता है कि पहचान आय। हालांकि, पहचान अनजाने में आगे बढ़ेगी। यह सच है कि यह इरादा है या नहीं। बुना हुआ टोपी पहले से ही उनकी पहचान के हिस्से के रूप में महसूस करना शुरू कर दिया है। इनबा युयुमा नाम एक लंबा रिश्ता है और ऐसा लगता है कि यह अपना शरीर है। इंजीनियर बनने का काम भी इंडेंट हो रहा है। क्या किसी ऐसे व्यक्ति के पास लौटना संभव है, जिसके पास कुछ नहीं है? शून्य करने के लिए। हमें एक नाम दिया गया है जब हम पैदा हुए थे। यह एक दूसरे के भेद के लिए है। वह दुनिया का पहला विभाजन है। नाम तो आशीर्वाद है लेकिन अभिशाप है। सभी नाम अलग-अलग हैं। आपको साझा करने से बचने के लिए अपना नाम खोने की आवश्यकता है। व्यक्तिगत अंतरिक्ष के लिए एक विभाजित विश्व संवेदनशील। मदर टेरेसा को वास्तव में एक नाम की आवश्यकता नहीं है। बस नाम के बिना एक दयालु व्यक्ति के रूप में याद रखें। भगवान का कोई नाम नहीं है। कुछ संप्रदायों को लगता है कि उनका नाम यहोवा है। लेकिन क्या यह विभाजन नहीं है? जन्म, पदार्थ, मांस और रक्त, पहचान के बाद से सैकड़ों हजारों शब्द लेबल किए गए हैं। क्योंकि हम अपने आप को महसूस करते हैं, हम दर्द महसूस करते हैं जब इसे छील दिया जाता है। मुझे शून्य चाहिए। जब तक हम पैदा होते और मरते हैं, तब तक हम अनिवार्य रूप से अपना नाम खो देते हैं और शून्य पर लौट आते हैं। क्या हम अच्छी तरह से शून्य हो सकते हैं? वह भी एक चुनौती है। इस पाठ को टाइप करना या मैकबुक कीबोर्ड को निचोड़ना भी स्व-डूबने का हिस्सा है। पाने के लिए मुश्किल, हारना मुश्किल। खुद पर नशे के बिना सच्चाई को बताना भी मुश्किल है।

Original By

https://github.com/YumaInaura/YumaInaura/issues/791